世田谷の注文住宅|ホープスができるまで②|(株)ホープス代表 清野廣道のブログ
世田谷の注文住宅|(株)ホープス代表 清野廣道のブログ
[ホープスができるまで②]
就職活動をする前から将来は独立すると決めていましたが、だからこそ就職先にはさんざん悩み、決めたのは大手ゼネコンでした。その会社を選んだのは、独立したときに仕事のパートナーとしてお付き合いできるだろうという理由からです。ただし、今だからこそわかりますが、業界トップではないとは言え大企業。協力会社もスケールも仕事の仕方も全く違います。直接仕事のお付き合いをすることもないとは思いますが、わからない時は相談に乗って頂いております。
そのゼネコンには企画志望で入社しましたが、配属されたのは現場監督でした。監督の仕事には監督としてのやりがいがありますが、でも私がいちばんやりたかった仕事ではありません。ですから、人事考課がある度に「企画部へいきたい!」と転属希望を訴えましたが、受け入れられることはありませんでした。
監督の仕事が私の希望と合わなかったとは言え、クサったり手を抜くようなことは一切しませんでした。毎日が修行。何か月も休みはなく、まるで体育会系のクラブ?のようにご指導をいただきました。建築物が徐々に出来上がっていく現場はエキサイティングそのものですし、クライアントやその建物を使う人たちのことを思うと一生懸命にならざるを得ません。建築に携わる人は、ほとんど皆さんが同じような思いで働いていると思います。
そんな日々を過ごしているうちに、(ちょっと自慢になってしまいますが)歴代最短で所長に就任しました。監督の仕事と違い、お金のことまで管理する立ち場になれたことはラッキーでした。いずれ独立となったら、知っておかなければいけない大切なことです。そこで、そうした財務面のことを一通り覚え、資格を取得したら退職しようと、将来設計を立てました。
退職したのは、入社してちょうど10年後のことでした。
庁舎を建設する大型プロジェクトのスタッフとして辞令がおりたときです。庁舎を建設するとなると、完成までに5〜6年を要します。街のランドマークをつくる、とてもやりがいのある仕事です。でも、自分の年齢を考えると、このプロジェクトに取りかかったら辞めるタイミングを失い、独立しようという意志が薄らいでしまうと思いました。そのときの感情を「何か大切にしてきたものを失ってしまうようで恐かった」と言ってもいいでしょう。
私は上司に「辞めます。独立します。」と即座に伝えました。
その思いは、家族や同僚にも伝えました。すると、こう訊かれました。
「独立って、どうやって生きていくの?」
「わからない、どうするんだろうね??」
「………」
こんな風にしか答えられない状態で、退職はしたもののどうしようかなと。私は、自分が「できること」と「できないこと」をリストアップすることから始めました。
ちなみに…建築学科を卒業すると、二級建築士の試験は免除され、2年間の実務を経て一級建築士の試験を受験できます。私は現場監督をこなしながら、この会社の在籍中に一級建築士の資格を取得しました。