ジャン=ミシェル・バスキア@世田谷美術館
急激に寒さが増して、年の瀬も近づいてきた気がする今日この頃。
本日は、建築からちょっと離れて芸術の秋のお話。。。
先日、世田谷美術館で開かれている展覧会『対話する時間 世田谷美術館コレクションによる現代美術展』に行ってきました。
「今日はどうしてもバスキアに会いに行こう!」と思い立ってのことです。
バスキアは、80年代アメリカのアートシーンに彗星のように現れ、あっという間に美術界の頂点まで登りつめたものの、若干27歳で夭折した伝説の画家。
しかし、なかなか本物の作品を見られる機会がありません。
ハイチ人の父とプエルトリコ人の母をもつ。ドレッドヘアがトレードマークのバスキア。
バスキアは、本格的な美術教育を受けていませんが、10代のころ”SAMO”(セイモ)という偽名で、ニューヨークの壁にスプレーを用いたメッセージを残し始めました。
グラフィティ(=スプレーなどで壁にかいた落書き)アートです。ほどなくグラフィティの世界から、より本格的な画家としての活動へと入っていきます。
バスキアが現れた80年代はじめのアメリカの美術界は、資本家によるアート作品の投資、収集が流行となり、売れっ子の作品は信じられないほどの価格に高騰していました。
こんな中、才能を画商にみとめられてそのプロモーションに乗ったバスキアは、あれよあれよという間に時代の寵児に押し上げられていきます。
<a
アカデミックな教育を受けていないという点では技術的には未熟で、落書きのような画風。しかし、見るものを圧倒させる、強烈なメッセージ性を感じます。
バスキアの絵には、いくつかの特徴があります。
ぞっとするようなものや破壊を描く、怒りと反抗のアートであること。
いろいろな言葉やモチーフが断片的に表れて、隠喩のように謎を投げかけ、それがウィットに富んでもいること。
強く荒いタッチながら、画面が整然と分割されて、作品に緊張感が保たれていることなど。。。。
そしてベースには、有色人種への差別に対する怒り、幼少時の大手術の体験からくる人体への執着、社会への風刺などなどがあり、強いメッセージとしてあらわれているようです。
(※今回ご紹介の絵は、展示されているものでなく画集からの引用です)
さて、世田谷美術館で展示されていた『SEE』という大判の作品1点。
画像を載せることができないのが残念ですが、やはり本物の前に立つととにかく呑み込まれてしまうような迫力でした。
離れて全体の画面を見て、それからできる限り顔をちかづけて細部を隅々まで念入りに見てきました。
見れば見るほど興味深く、目が離せなくなるのです!
しばらく強い印象が残り続けた1点でした。
才能と時代により作られた唯一無二のアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキア。
いまさらながら、アートは奥が深いですね。。。。
ホープスホームページにもぜひお越しくださいね!!
http://www.archi-hopes.co.jp/